2009年6月28日 (日)

朗読者

Rodokusya  映画を観てから原作を読むというのも何となくシャクですが、「愛を読む人」の原作でベルンハルト・シュリンク著の『朗読者』(新潮文庫、松永美穂訳)を読み終わりました。ドイツ文学なんてずいぶん久しぶりです。カフカやヘッセならいざしらず、現代文学だったら高校時代にギュンター・グラスを読んで以来じゃないかな。

 小説と映画の間で、ストーリーや人物設定をめぐる違いはほとんどなかったですね。原作を忠実に映画化しようとしていることがよくわかりました。こういう場合は、たいていそういうものなのでしょうが、原作を映画が超えることは難しい。やはり、小説の方が映画よりもずっと奥行きがありますね。

 ですから、小説を読んでから映画をみたら、いろいろ不満も感じるかもしれない。でも、今回のやりみずはその逆でしたから、なるほどそうだったのか、ハンナは刑務所の中でそこまで変わっていったのか、そして、ミヒャエル(映画ではマイケル)はもっと陰翳のある人物だったのだな、と納得させられた次第です。もちろん、映画と小説は互いに独立した別の作品だってことを認めはするのですが...。

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2009年6月15日 (月)

あふれる新語

 大修館書店から刊行されたばかりの北原保雄編著『あふれる新語』を拾い読みしています。
 全国の中高生だけを対象に新語を募り、集まった若者言葉を辞書風に編集した新書本ですが、秀逸な語が多くて興味が尽きません。ごく一部の間でしか使用されていない語や、あっというまに消えていく語もたくさんあると思うのですが、おじさんたちには思いもよらない新鮮な言語感覚やあふれる創造力には驚かされます。とかく語彙力の不足を揶揄される若者ですが、語彙力の不足を造語力で補っているところもあるのかなと思います。
 とは言っても、大学生と高校生の息子に、いくつかの見出し語について聞いてみたところ、ほとんど知らない、聞いたこともないの連続でした。
 ここで、いくつかの収録語と例文を紹介します。どのくらい意味がわかるかな?

(1)こそアド 「おい、こそアドしてたのかよ。抜け駆けだー」
(2)メガップル「メガップルってチューするとき邪魔じゃないかなー」
(3)やきいも【やき妹】「やき妹は萌え属性だ」
(4)うにる 「テストが難しくてうにった」
(5)サビる「よく知らない歌なのでとりあえずサビってみる」
(6)土手る「夕陽を背にして思いっきり土手ろう」
(7)モソる「数学の時間はずっとモソってたよねー」
(8)カニカマ「ずっと外にいたからカニカマや〜」
(9)鬼太郎「テストの点が鬼太郎だった」
(10)逆コナン「彼女は年々逆コナン化」している」

答はまた明日!

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2009年6月10日 (水)

リトル・ピープル

 どうも、やりみずです。
 あれはあれで終わりですよね。

 これから天吾が生涯をかけて青豆を探し続ける旅は、また別の物語 になるんでしょうね。
 直接書かれることはもうないんでしょうけど...

 リトルピープルは、白雪姫の小人たちのイメージでもいいんでしょうけれど、読むものの心を騒がせる何かがありますね。せっせと〈空気さなぎ〉をふくらませて、いつのまにかこの世界を全然別のものに作りかえてしまう妖精みたいなもの。本来的に善でもなく悪でもないのだけれども、たとえば正統キリスト教などによっては、悪魔にされてしまったであろう異端の精霊みたいなもの、ただその固有の論理やシステムに従って、この世界を浸食し再編成してしまうウイルスみたいなもの...

 比喩が拙劣で申し訳ないですね。あまりにリアルすぎて、結果として夢の中の影絵のようにしか説明できない気分です。また、もっとよく考えてみます。

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今日は「タイランド」を読みかえした

 そろそろ『1Q84』の感想を書こうと思ったが、Tさんに「しばし待て」と止められたので、そのかわりに彼が言及してくれた村上春樹の短編「タイランド」を読み直した。(『神の子どもたちはみな踊る』所収、新潮社、2000年。)

 ありがとう。いい小説だね。初めて読んだときには、気がつかなかったことがいくつもあった。もう二度と忘れないだろうと思う。

 
 で、やりみずは、抱えこんだ石をどこかに捨てることができるのだろうか....。


 井上陽水に「タイランド ファンタジア」っていう歌があるけど、結構好きです。

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2009年6月 1日 (月)

1Q84 読了

 下巻を読み終える。

 明日は用賀から首都高に入ってみよう。

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2009年5月31日 (日)

1Q84

 何だかすごい売れ行きになっているという村上春樹の新刊『1Q84』の上巻を読み終わる。

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2009年1月 7日 (水)

詩の力

 甲府行。今日は会議ですが、事実上の初仕事になりました。今年もよろしくお願いいたします。

 夕食は、例年通り奥さんが近所の川べりと畑で調達した七草のおかゆをいただきました。野辺で「ごぎょう」を見つけられる人はご近所では私ぐらいかな、と奥さんはちょっと自慢。お味もなかなかです。

 新潮文庫から出たばかりの吉本隆明の『詩の力』をよみました。10代の終わりに傍線を引きながら「戦後詩史論」を読んだやりみずからすると、吉本さんはなんてカドがとれちゃったんだろうと思ったりもするのですが、同時に大学時代に初めて講演を聴いたときに感じた吉本さんの優しさを懐かしく思い出しました。

 日本の現代詩をよもうとする若い人にとってこれほど「温かい入門書」はないんじゃないでしょうか。私も改めてこの本から始めようかな。日本語表現の教科書にも使いたい本です。

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2009年1月 5日 (月)

くらやみの速さはどれくらい

 今年最初に読んだ本は、自閉症の青年を主人公にした近未来SF『くらやみの速さはどれくらい』(エリザベス・ムーン著、ハヤカワ文庫)です。文庫本で600ページあまりの長編ですが、二日でいっきに読み通しました。『アルジャーノンに花束を』の訳者でもある小尾芙佐さんの翻訳もすばらしいです。

 解説の大野万紀さんがコメントしているように、主人公のルウは自閉症スペクトラムの中でも高機能で、アスペルガー症候群と言ってもよいと思うのですが、自閉症者の視点から見えてくるこの社会のありようが痛切に伝わってきます。自閉症を〈治す〉ということがどういうことなのかを深く考えさせる小説でもあります。

 物語の最後で自閉症の治療に〈成功〉した主人公。それは以前の自分を失うのではなく、新しい自分を獲得することでもありました。それは、ハッピーエンドといってもよいのでしょうが、正直なところ、私はすぐにはそれをのみこめないでいます。

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2008年11月30日 (日)

彼女について

 買い物に出かけた以外は、のんびり自宅で過ごしました。昼過ぎからは2階に上がってこたつにあたりながら、半ば夢うつつのような状態で吉本ばななの新刊『彼女について』を読了。とても切ないお話でした。

 ばななさんもあとがきで「つらいファンタジー」と言っていますね。たしかに、あまりにもあんまりな設定なんですが、どういうわけかそれでも救われるというか、どっこいなかなか絶望しきれないというか、はかない主人公をあきらめきれないというか、どこまでも夢の中の夢であってほしいというか,,,。

 ばななさんが着想を得たというダリオ・アルジェントの『トラウマ』も見てみたいですね。やりみずとしては、萩尾望都の『バルバラ異界』に入り込んだ時みたいな感覚を覚えました。つまるところ、どこまでいってもやっぱりこの小説もばななワールドだったんですね。



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2008年11月26日 (水)

強欲資本主義 ウォール街の自爆

 現役の投資銀行家が語るアメリカ金融資本主義への批判の書。住友銀行からゴールドマン・サックスに転じ、バブル崩壊後にニューヨークで投資銀行を創業し たという著者のプロフィールを見たときは、「同じアナのムジナ」じゃないのかと思ったりもしていましたが、なかなかどうして。「投資銀行家」という仕事に 誇りをもって生きようとしている筆者が放つ同業者への批判はきわめてまっとうなものです。インサイダーだからこそ語れる興味深い話も満載です。金子勝氏の 『世界金融危機』といっしょに読書会で読むべき本ですね。


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2008年11月19日 (水)

世界金融危機

 岩波ブックレットから10月初めに出た金子勝とアンドリュー・デウィットの共著となる『世界金融危機』を読みました。何だか久しぶりに友人達と読書会がしたいな、と思いました。


 

金子 勝,アンドリュー デウィット
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2008年7月15日 (火)

生き地獄天国

 愛車のエアコンが不調です。涼しいときはよく冷えるのに、暑いときにはナマ暖かい風しか出てこない。仕方なく窓を開けて運転することが多くなったのですが、これはこれで「けっこうエコかも」などと強がったりもする今日この頃です。

Ikijigokutengoku_2  今日は雨宮処凛の自伝である『生き地獄天国』(ちくま文庫)を読みました。いや、ほんとにすごい人だ。

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2008年7月12日 (土)

バンギャル ア ゴーゴー 下巻

Bangal2  猛暑の土曜日でした。奥さんはお友達とミニ韓流ツァーで麻布→赤坂→新大久保、長男は大学のサークル活動で高田馬場→目白→池袋、次男は地下鉄小旅行で新宿→渋谷→和光市→渋谷→浅草。ご苦労様です。

 というわけで、私一人が涼しい自宅に残り、なかなか続きが読めないでいた雨宮処凛『バンギャル ア ゴーゴー』(講談社)の下巻の入り口まで辿り着きました。

 

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2008年6月28日 (土)

バンギャル ア ゴーゴー

Bangal_2  先日『蟹工船』について書いたところ、このブームには雨宮処凛の影響があるというコメントを渡辺さんからいただきました。ありがとうございます。

 恥ずかしながら、雨宮処凛という名前を見たのは初めてでした。そこで、ご本人のホームページやwikipediaの記述などにあたってみたのですが、これは実に興味深い作家ですね。今日さっそく南大沢の図書館で『バンギャル ア ゴーゴー』(講談社)の上巻を借りてきて読み始めたところです。

 〈ヴィジュアル系バンドの追っかけ少女〉なんて、〈プログレ系バンドの後追いオヤジ〉のやりみずからは何万光年も離れた存在なのでしょうが、その距離を感じさせない作者の筆力はみごとです。

 

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2008年6月24日 (火)

rockin'on BEST 500 DISC

Bestdisc500 セブンアンドワイで注文していた『rockin'on BEST 500 DISC』が届きました。

 iTunesのライブラリに入れているアルバムは現在455枚分(コンピレーションの59枚を含むし、邦楽もけっこうあるから実質は洋楽250枚くらいか)なのですが、どれくらい重なっているのか(いないのか)楽しみです。

 

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2008年6月17日 (火)

蟹工船

 何十年ぶりかに再読してみることにする。Kanikosen

 で、近所のガソリンスタンドに車を停め、併設されたコインランドリーで洗濯物を乾燥させながら、「おーいお茶」片手に、真新しい新潮文庫のページをめくる。これがこれでけっこう引き込まれる。身体にびんびんとくる描写が実に新鮮だ。ついついプロパガンダを出してしまうところは、(気持ちはわかるんだけど)作品の生きのよさにダメージを与えてしまっていて、実にもったいない。

 〈ワーキングプア〉が顕在化し、世の中がいよいよささくれだってきた昨今、『蟹工船』がブームなんだそうだ。でも、ほんとかな? パンクやラップじゃなくて、なぜいきなり『蟹工船』なのか? 『カラマーゾフの兄弟』と同じように、読者の大半はリタイアしたばかりの団塊世代じゃないのか? あれこれ疑問はあるが、この小説は発表されて今年でちょうど80年だということに気づいた。そういう節目の年なんですね。

 最初の10ページで挫折する読者も多いとか...。確かに方言も多いし、たとえば「南京虫」「マドロス・パイプ」「コールテン」「講談雑誌」「白首(ごけ)」「信玄袋」「沖売」「猿又」「露助」等々をイメージできる若い人はそんなに多くはないだろうしなあ。

 

 

 

 
 

 

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2008年6月14日 (土)

ライディング・ザ・ブレット

 一週間前に見た『ミスト』の後味が実に悪かったので、スティーブン・キングの原作はどうなっているのかと図書館で探してみたのですが、先を越されたんでしょうか、あいにくの貸出中でした。しかたないので、同じ作者の『ライディング・ザ・ブレット』(白石朗訳、アーティストハウス)を借りてきました。

  「急病で倒れた母親を見舞うため、ヒッチハイクで病院に向かう大学生の主人公が体験する恐怖の物語」という結構なのですが、村上春樹を思わせる訳文は、とてもポップで読みやすいですね。ぐいぐい引き込まれて、2時間足らずで読了しました。Ridingb

 この小説、2000年3月にインターネット限定で発売されたときは、48時間で50万部もダウンロードされたんだそうです。映画化もされているのかな、と調べてみたらミック・ギャリスという人の監督で2005年に公開されていましたね。


 今日は川端康成の誕生日でしたか。1899年6月14日。

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2008年3月 1日 (土)

ペット・サウンズ

Petsoundsj_2 今夜は私の部屋に引きこもって、発売されたばかりの『ペット・サウンズ』(ジム・フジーリ著、村上春樹訳、新潮社)を読み通しました。素敵じゃないですか奇跡的な名盤となったビーチ・ボーイズの『ペット・サウンズ』を、一度も聴いたことのない人にはなんだか聴きたくなるようにさせ、何度か聴いたことのある人にはどうしてももう一度聴きたくなるようにさせ、ずぶずぶに聴いていた人にはさらに深みにはまらせてしまうような、そういう強い喚起力を持った書物です。村上春樹のすばらしい「あとがき」がトドメになるでしょう。

 私がいちばん「いとおしい」音楽家はブライアン・ウィルソンです。この本を読んで、ブライアンには長生きしてほしい、幸せでいてほしい、とますます思うようになりました。

 ここではセブンアンドワイのページにリンクしておきます。

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2008年2月12日 (火)

小林秀雄没後四半世紀

 高田馬場行。試験が終わるまであともう少しです。

Bungakukai0803  試験監督の合間に、駅前のあおい書店で『文学界』3月号を買いました。川上未映子の芥川賞受賞第1作と永井均先生との対談にも釣られてしまったのですが、「特集 小林秀雄 没後四半世紀」まで収録されているので買わないわけにはいかなくなりました。

 川上未映子さんについては明日触れるとして、今日は小林秀雄の特集についてひとくち感想を書きます。そもそも「没後四半世紀」で特集が出せるというのがすごい。そう思って本棚を眺めると、かつてはこんな特集号もありました。

  • 『新潮』1993年5月号「没後十年 小林秀雄」
  • 『文学界』1996年4月号「小林秀雄の不在」
  • 『文学界』2002年9月号「封印を解かれた小林秀雄」

 文芸誌に〈困ったときの小林秀雄〉などというジンクスがあるかはわかりませんが、小林の特集があれば買ってやろうという私のような読者も少しはいるのかもしれません。

 今回の特集は、『小林秀雄の恵み』(新潮社)を上梓したばかりの橋本治と『脳と仮想』で小林秀雄賞も受賞した脳科学者の茂木健一郎両氏の対談「「小林秀雄」とはなにものだったのか」をメインに、菅野昭正、中島義道、高橋英夫、森本淳生、坂本忠雄の5氏が論考を寄せています。

 橋本さん、いいですね。絶好調です。〈次は『本居宣長の恵み』をやるしかない〉という宣言を引き出した茂木さんの功績も大きいです。大学院時代に『桃尻訳枕草子』や『窯変源氏物語』をアンチョコに予備校で古文を教えたこともあるやりみずですが、橋本氏の源氏読解は、小林秀雄よりもまちがいなく確かだと思います。実際、小林秀雄は源氏そのもののテクストを、ドストエフスキーのように強い関心をもって読みこんだとはとうてい思えません。本居宣長を自由自在に論じるにもまさに得難い人材です。

 他の論考では、中島義道氏の「厄介至極な「他者」」という文章がいちばん面白かった。

小林の著作を読んでいると、しばしば「それはAではなく、Bなのだ」という論理に遭遇する。このAに常識的な述語をはめ込むのはいい。だが、罪なことに、Bにも輪をかけて常識的な述語を持ってくるのだ。これは、小林一流の「弁証法」と言っていいであろう。彼はある単純なことを素直に肯定したいのだが、そのときふっと通俗的な解釈に対する激しい対抗心が頭をもたげ、「そうではない!」と叫んでから、改めて率直な事実を語るのだ。

 京王線の車中、爆笑を圧し殺すのに懸命で、お腹が痛くなりました。
 

 

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2008年2月10日 (日)

川上未映子「乳と卵」

 夜のうちに5センチ程度は積もったでしょうか。朝起きるとすぐに外に出て今年2回目の雪かきに精を出しました。

Bunsyun0803_2  しみじみとした達成感を味わいながら家に戻り、コーヒーを飲んで朝刊に目を通していると、一面ぶち抜きの『文藝春秋』3月号の広告に目を奪われました。

 しゃがんで頬杖をつく川上未映子。先日からなかなか読めないでいた芥川賞「乳と卵」の作者ですね。これでいいのか、文藝春秋!?(笑)

 単行本を出すより先に雑誌を売ってしまおうという商魂ありあり。わかっていながらすぐに書店にクルマを走らせるやりみず。こういうおめでたい読者が山ほどいれば、構造不況の文芸市場も安泰なのでしょうが...。

 で、公園の駐車場にクルマを停めて読んだ「乳と卵」のひとくち感想です。

 とにかく男のいない世界ですね。女性の性は困惑するほど語られているのですが、対象のない性です。語りはやたらに饒舌ですが、エロスはみじんもありません。卵が派手に割られる最後の場面にカタルシスを感じるか否か、それが読後感を左右するんじゃないかと思います。私はといえば、けっこう感じました。そこに私がいたら、いっしょに卵を頭にぶつけて、黄身や白身を髪に塗りたくったでしょうね。

 最初はとっつきにくい文体も、慣れてくると心地よく感じられてきます。大阪弁の効果というのは確かにあるんでしょうね。くすりとさせられるところもあちこちにありました。

 綿矢りさの「蹴りたい背中」と比べてみたくなりますが、小説の巧みさでは「乳と卵」の方が上でしょうね。〈みずみずしさ〉とか〈キラキラした輝き〉とかいったものは全然ありませんが、ジュニア小説じゃないのだから、これはこれでいっこうに差し支えない。でも、もうちょっと〈華〉があってもいいんじゃないかと。〈悪の華〉でもいいから...。

 あれこれ物思いにふける車中でしたが、ほどよく携帯に奥さんからの電話がかかって来ました。「帰りに牛乳と卵、買ってきて」。ウソみたいなオチで、今日のブログを終わります。

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2008年2月 1日 (金)

ケータイ小説

 よんどころのない必要に迫られ 、うわさの美嘉『恋空』に挑戦しました。ケータイ小説はケータイ画面で読むのが作法なんだろうと、老眼に苦しみ、親指の操作にまごつき、何度も投げ出しそうになっても、携帯大事で投げ出すわけにも行かず、文章が稚拙だとか、展開がベタだとか、描写がスカスカだとか、そういう文句は全部野暮な言挙げとしてごくりとのみこみ、とにもかくにも最後まで読み通した自分をいま私はとってもホメてあげたい。(はずがしがりすぎ〜)

 

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2008年1月28日 (月)

杉山登志郎『発達障害の子どもたち』

Sugiyama_3  行き帰りの電車の中で、杉山登志郎氏の新刊『発達障害の子どもたち』(講談社現代新書)を読みました。オビには「自閉症、アスペルガー、ADHD、学習障害などが、この一冊でわかる」「発達障害にまつわる誤解と偏見を解く!」などとありますが、最新の知見と具体的な療育例が数多く盛り込まれたこの本は、教育関係者や行政担当者、親御さんだけでなく、広く一般に読まれてほしい本だと強く思います。

 

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2008年1月27日 (日)

文芸誌なんかよむ日曜日

 快晴の日曜日でしたが、長男はTOEIC、次男は英検の受験でした。ごくろうさん。

 私はといえば、次男を西八王子の試験場まで送った後、川上未映子さんの芥川賞受賞作を読もうと心に決めていて、すぐ近くの市立図書館に入りました。で、『文学界』の12月号を探したんですが、案の定というか、この号だけが貸し出し中ですね。この一週間というもの、なかなかお目当ての「乳と卵」にめぐりあえません。

 しかたがないので、そのまま長椅子に座って、棚に積み上げられている文芸誌を手当たり次第に読み始めました。しばらくご無沙汰の文芸誌ですが、けっこうハマってしまう私です。
Su0802
 そのなかで「すばる」2月号 の大江健三郎のエッセイに心惹かれてしっかり読了しました。『沖縄ノート』(岩波新書)における「集団自決」の記述をめぐって、裁判に訴えられた大江氏の心境を綴った文章なのですが、「罪の巨塊」を「罪の巨魁」と誤読した曾野綾子の思いこみが裁判の引き金となっていることも改めてよくわかりました。それにしても、曾野さんはなんであんな初歩的な読み違えをしたんでしょうね。弁明を聴きたいところです。

 あと、これも「すばる」だったか忘れましたが、沖縄戦と済州島4・3事件の悲劇が響き合っているからなんでしょうか、金石範の済州島紀行も読んでいて胸に響きました。

 「新潮」2月号の高橋源一郎+田中和生+東浩紀「小説と評論の環境問題」という座談会記事もおもしろかった。議論を引っ張る東さんの話はわからないことが多いのですが、ちょっとはわかってしまう私って何だろうと自問する私って何なんでしょう...。

 
 

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2007年12月30日 (日)

橋本治『小林秀雄の恵み』

 新潮社から出版されたばかりの橋本治『小林秀雄の恵み』を読み始めました。

 目が覚めるような分析と直感に富んだすばらしい本です。

Kobamegu

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2007年9月19日 (水)

カラマーゾフ続編を空想する

 連日カラマーゾフの話題ばかりで恐縮ですが、今日は亀山郁夫氏みずからが「余熱の書」と語る『「カラマーゾフ兄弟」続編を空想する』(光文社新書)をひといきに読み通しました。どうやら、私も余熱が続いているようです。

 テキストを緻密に読解し、伝記的研究の成果も最大限に活用すれば、単なる空想にとどまらないそれなりの可能性が見えてくるものなんですね。実に感心いたしました。

 リーザがイワンの子を宿したままアリョーシャと結婚するかもしれないとか、皇帝暗殺を企てるのはアリョーシャではなくコーリャたちだとか、ア リョーシャが向かうのは「去勢派」ではなく「鞭身派」の異端だろうとか、「空想」の興味尽きない中味は本書をぜひ読んでいただきたきたいと思います。

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2007年9月18日 (火)

小林秀雄のカラマーゾフ論

 今夜は、小林秀雄のカラマーゾフ論を読み直してみました。

 「カラマアゾフの兄弟」と題した小林秀雄の評論は、昭和16年の10月から翌年の9月まで、つまりは太平洋戦争の開戦前後の期間に8回にわたって「文芸」誌上に連載されています。(この時期の小林秀雄の著作はこのページを参照下さい) 

 未完に終わったということもあり、戦後に書かれた「罪と罰」や「白痴」についての論考に比べれば物足りなさが残るのですが、ドミートリーやイワ ンについての小林秀雄の人物評は今でも新鮮さを失っていないと思います。特に、ドミートリーに対する小林の「偏愛」は、志賀直哉やランボーに対するそれと 酷似していますね。

 ところで、ロシア語はできないはずの小林秀雄はドストエフスキーをどんなテキストで読んでいたのでしょうか。1917年に米川正夫が新潮社から『カラマーゾフの兄弟』の翻訳を刊行していますから、小林秀雄は確実にこの訳本はよんでいるはずです。

 昭和16年12月に河出書房から米川正夫訳のドストエフスキー全集が刊行されはじめるのですが、その内容見本に小林秀雄は「ドストエフスキイの翻訳」という推薦文を寄せています。それによると、小林秀雄は日本語の翻訳の他に、英訳や仏訳でも読んでいたようですね。特に「僕が一番よいと思っている翻訳全集はN.R.F版の仏訳全集である」と記しているところが目を引きます。

 「世界中で一番いい翻訳全集になる事は間違いない」と小林が推薦した米川正夫の個人訳全集は、戦争で一時中断し、昭和37年になって完成することになります。ついでに言うと、私が大学時代にローンを組んで買ったのも、この全集の「愛蔵決定版」でした。

Koba

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2007年9月17日 (月)

カラマーゾフ解題をよむ

 連休中に京都を旅行してきた長男が帰ってきました。関西も猛暑だったようですが、暑さもさほど苦にならなかったようですね。若いっていいなぁ、と本心から思う今日この頃です。(今までは社交辞令だったってことかな...)

 残しておいた『カラマーゾフの兄弟』の300ページに及ぶ解説を読みました。訳者である亀山郁夫氏による「ドストエフスキーの生涯」「年譜」 「解題『父』を『殺した』のはだれか」「訳者あとがき」からなりますが、なかなか面白くて困りました。もう一度第1巻から読み返さなきゃならなくなるよう なみごとな解説です。

 高校時代に小沼文彦訳でぶちのめされて以来、カラマーゾフを通読できたのはこれで4回目になります。(あとの2回は米川正夫訳)何十回も読みこみ、全文が暗誦できたと伝えられるヴィトゲンシュタインにはまったく足下にも及びませんが、これからも7年おきくらいにはカラマーゾフに帰ってこようかな、と思います。 Witt

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2007年9月14日 (金)

エピローグ カラマーゾフ万歳!

 コーリャの「カラマーゾフ万歳!」の叫びで、長い長い物語(のほんとうは前編だけ)が終わりました。Dostoevsky_2

 光文社文庫の第5巻は、60ページのエピローグと300ページの解説からなります。今日はエピローグだけを熟読し、余韻をかみしめることにしま した。ついに書かれなかった「後編」に思いをはせ、アリョーシャの果てしない前途を案じながら、今夜はゆっくり寝ることにします。

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2007年9月13日 (木)

カラマーゾフ第4巻読了

 『カラマーゾフの兄弟』第4巻を読了。イワン錯乱の夜から、ドミートリー裁判とその判決まで。マラソンでいうと、39キロあたりまでの上り坂をいっきに走り抜けた気分。爽快とはいえませんが、高揚した気分になりますね。

 いつにもまして(ここぞとばかりに)、誰も彼もが(悪魔までも)やたらめったに(際限もなく)しゃべって(わめいて)しゃべって(わめいて)しゃべり(わめき)まくります。

 ミハイル・バフチンの〈ポリフォニック〉というキーワードが、いやでも思い出されるところですが、こんなに壮大で錯綜としたポリフォニーってあったかな?Bakhtin

 ベルリオーズをもっと巨大化させ、ショスタコービッチをもっと錯乱させ、キング・クリムゾンをさらに歪ませたような交響曲。あんまり聴きたくはないけれど(笑)。

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2007年9月11日 (火)

土砂降りの雨の中、カラマーゾフは第四巻へ

  お昼前、それぞれの用事で奥さんとクルマで都心に向かったのですが、外苑前にさしかかったところからものすごい豪雨になりました。

 絵画館裏の駐車場に入るのをあきらめ、奥さんには千駄ヶ谷の駅で降りてもらい、当方は見通しのまったくきかない明治通りを北上することに。

 高田馬場に着いた時には、雨も小降りになっていましたね。時間が少しあったので、芳林堂でカラマーゾフの四巻目を買いました。この巻はやたらに厚い。700ページもありました。

 外に出ると、改装中のビッグボックスのてっぺんに落ちたんじゃないかと思うくらいの近さで雷鳴が鳴り響き、思わず後ずさり。このパワフルなお天気は、いったい何なんでしょうね。

 仕事が終わると、カーラジオで巨人vsヤクルト戦を聞きながら帰宅。こんなお天気でもゲームを強行しようとする神宮球場に敬意を表します。Boys

 今夜は、第4部第10編の「少年たち」途中まで。コーリャは数えで14歳。うちの次男と同じ学年です。リーズもそうだったかな。大ドストエフス キーの筆になるのですから当然といえば当然なのですが、この小説に出てくる子どもたちって、実に生き生きとしていてすばらしいですね。

 この第4部第10編なんですが、さきほどネットで調べていたら、1990年のソ連でレニータ夫妻の監督によって映画化されていることを知りました。邦題は「少年たち」。DVDでもビデオでもいいから是非みてみたいですね。

少年たち「カラマーゾフの兄弟」より(1990) - goo 映画


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2007年9月10日 (月)

パパが....された話

Fyodor  夜になってカラマーゾフは第3巻を読了。ドミートリーが父親殺しの容疑で護送されるところまで。

 ミーチャが出てくると、物語がにわかに猛スピードで疾走しはじめ、読んでいても目眩がしてきます。

 くらくらしかけたときに、喜色満面の次男がいきなり部屋に入ってきました。お前はミーチャか、アリョーシャか(笑)

 何でもヤフーが最近DVDのレンタルサービスをはじめたそうで、今日メール便で届いたばかりの「元祖天才バカボン」が面白いから是非とも見せてあげようというありがたいお申し出あせあせ(飛び散る汗)Bakabonpapa

 小説はちょうどミーチャの尋問中でしたが、ウムも言わさず次男はiMacにディスクを挿入。オープニングの歌を皮切りに、天才として生まれたバカボンのパパが、馬にけられて頭のねじが外れるまでの顛末をたっぷりと鑑賞させてくれました。

 エンディングが流れた後、次男は〈元祖天才バカボン〉が〈レレレ〉や〈平成〉と比べていかに傑出したシリーズであるのかというありがたい講釈を 垂れ、放送回数はそれぞれ何回で、制作会社はどこで、声優さんはだれそれで...という蘊蓄を長々と披露し、唐突に「おやすみなさいっ」と話を打ち切り、 うれしそうに部屋を出て行ってしまいました。

 頭のねじをまき直し、カラマーゾフに戻りましたが、どうもペースがつかめないまま、ついにミーチャは護送されてしまいました。

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2007年9月 9日 (日)

阪神10連勝! ミーチャの大盤振る舞い

 藤川10連投で阪神も10連勝。今日も壮絶な巨神戦でしたね。TBSのラジオで実況を聴いていましたが、延長に入った頃からアナウンサーの声が出なくなり、急遽代役にバトンタッチしていました。

 カラマーゾフ第3巻は第3部第8編まで。血まみれになりながら、グルーシェニカの後を追うドミートリー、そのやけっぱちな大盤振る舞いの意外な結末まで。Brothers

 写真は1968年にソ連で公開された『カラマーゾフの兄弟』ですが、この映画、高校か大学の時にどこかのソビエト映画祭で見たと思うのですが、 ほとんど細部についての記憶は残っていません。左からアリョーシャ、ドミートリー、イワンの3兄弟ですが、イワンがメガネをかけたシューベルトに似ているというイメージはこ の映画で形成されたのでしょう。Franz_schubert

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2007年9月 7日 (金)

台風一過 悲劇はクライマックスへ

 窓を打つ風雨の音も気にならずに熟睡してしまいましたが、夜明け前に台風は我が家の真上を通りすぎたようですね。

 カラマーゾフは第3巻に突入。思わぬ展開を見せたゾシマ長老の葬儀、悪友に導かれてグルーシェニカを訪ねるアリョーシャ、金策に走りまわるドミートリー...しだいに悲劇はクライマックスへ。 Kara01_2

 『蜘蛛の糸』のネタは、グルーシェニカの語るネギの説話だったりもする。

 写真はユル・ブリンナーが演じるドミートリー。(1957年)

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2007年9月 6日 (木)

嵐、ゾシマ長老一代記

Nabokov  今夜は台風直撃ですね。風も雨も激しくなってきました。

 カラマーゾフは第2巻を読了。死期の迫ったゾシマ長老の回想と説教をききました。アリョーシャの身になって素直に読めば感動的ではあるけれど、ナボコフみたいにスレた読者からみるととあくびが出そうな部分なのかも...

 ナボコフの名前を出したのは、いまさっき書棚の隅で埃をかぶっていた『ロシア文学講義』を引っ張り出して、ドストエフスキーの章を開いたからなのですが、この『ロリータ』の作者、実に手厳しい。

 《ゾシマ長老の長たらしい跛行する物語はそっくり削ったとしても、この小説を傷つけることにはならなかっただろう。いや、むしろ削ったほうが遙かにまとまりがよくなり、構造的にもバランスがとれたと思う。》(ナボコフ『ロシア文学講義』小笠原豊樹訳)

 ドスト好きからすると、まとまりのなさ、バランスの悪さこそカラマーゾフ世界の本質に関わるんだと反論したくもなりますが...


それにしても iPod touch ほしいです...

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2007年9月 4日 (火)

残暑、夕立、カラマーゾフ...  

 残暑がぶり返した感もありましたが、夕立のおかげで帰宅時には若干涼しくなりましたね。

 行き帰りの電車でカラマーゾフ第1巻を読み終わりました。ドミートリーも親父もよくしゃべること。ゾシマ長老のお言葉が今となっては胸にしみま す。昔からイワンの顔は「憂鬱そうなシューベルト」のイメージなのですが、やっぱり好きになれそうにない。ついに「おキツネさん」の発作を起こしたアリョー シャよ、がんばれ!! カテリーナとグルーシェニカの二人に、身勝手な幻影を重ねたりもする...。

 というわけで、早くも脳内はすっかりカラマーゾフ状態...(意味不明ですが察して下さい)

Kara1

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2007年9月 1日 (土)

クロイツェル・ソナタ

 今日からEvaの改訂第1部が公開ですね。たぶん、今月中に新宿で見るんだろうな。

 さきほど「イワン・イリイチ」とカップリングで収録されている「クロイツェル・ソナタ」(望月哲男訳)を読み終わりました。

 ううむ..面白い。こんなに面白かったのか。面白くて困る。面白いと感心している自分にもっと困ってしまいます。

 出版前から海賊版が出回り、出版されてもすぐに発禁にされたという「クロイツェル・ソナタ」は、もちろんベートーベンの名曲に触発されて生まれ た作品ですが、この小説を読んで感動したヤナーチェクがさらにまた同名の弦楽四重奏曲をつくってしまったんだそうですね。私も、何でもいいから金魚のフン でも付け加えたい気分です。

 このまま「アンナ・カレーニナ」に向かってしまうのも惜しい?

 ここからクロイツェル・ソナタが聴けます。


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2007年8月30日 (木)

イワン・イリイチの死

Iwan  早朝、満員の中央線で新訳『カラマーゾフ兄弟』に読みふける青年をみかけました。ちょっと刺激を受けて、夕方に駅近くの書店で光文社文庫を探したのですが、第1巻だけは売り切れになっているのに苦笑い。第2巻以降は山積みでしたし。
 しかたがないので、すぐ隣に並んでいたトルストイの『イワン・イリイチの死/クロイツェル・ソナタ』(望月哲男訳)を買い、ミスドに飛び込んですぐに読み始めました。
 イワン・イリイチの死んだ45歳を通り過ぎ、およそ25年ぶりに読みかえすことになりましたが、あまりの完璧さに打ちのめされ、しばらく立ち上がれませんでした。20歳の時にはまったく味わえなかった感情がとめどもなく沸き上がり、少々とまどっています。

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2007年8月24日 (金)

地下室の手記

 光文社の古典新訳文庫から出たドストエフスキー『地下室の手記』(安岡治子訳)を読みました。久しぶりの地下室人との対面です。何だかとっても懐かしい(笑)。

 わたしは病的な人間だ...(米川正夫訳)
 ぼくは病んだ人間だ...(江川卓訳)
 俺は病んでいる...。(安岡治子訳)

 小説の冒頭ですが、主人公は40歳の引きこもり男ですし、2007年の日本では「俺」がいちばんしっくりするかなとも思います。小林秀雄訳のランボオみたいな語り口も、ちょっと気に入りました。そんなに格好いい主人公ではまったくありませんが...。

Chika

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2007年7月 9日 (月)

池田晶子『暮らしの哲学』

 日曜日は、逗子の海岸近くに住むT夫人のご自宅まで、夫婦で遊びに行ってきました。窓から海が望める実に素敵なコンドミニアムですね。猫と暮らすT夫人も、有閑マダムぶりが実にさまになっています。
 アウトドア派のご主人が奄美の海にお出かけになっている間に、かつての仕事仲間とその家族が大挙して集まった次第ですが、なんだか同窓会のようで楽しかった。
 話の中で、この春亡くなった池田晶子さんがT夫人の友人だったことを知り、しばし感慨にふけりました。3人とも生まれた年は同じなんですが、歩んだ道はぜんぜん違いますね。
 池田晶子さんの訃報を新聞で読んだとき、亡くなったことと同じくらいショックだったのは、池田さんが「結婚していた」ということでした。裏切られたようにさえ感じた私は、いったい何を夢見たというのでしょう。実に度し難い男です。
 今日は仕事帰り、高田馬場のあおい書店で、池田晶子の新刊『暮らしの哲学』(毎日新聞社)を買いました。彼女の本は、どこを読んでも同じことしか言っていないとも言えるのですが、読み始めるとクセになります。そういう点では、確かに小林秀雄と通じ合っていますね。
Kurashi

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2007年7月 3日 (火)

エスペラント

 田中克彦氏の新刊『エスペラント--異端の言語』(岩波新書)をよみました。
 田中氏の著作はいつも期待を裏切りません。おかげで、小生もエスペラントをかじってみたくなりました。もうすぐ横浜でエスペラントの世界大会もあるそうですし、この夏はいっしょに勉強しませんか?

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2006年9月23日 (土)

福田和也『地ひらく』(文藝春秋)

Chihiraku 2001年9月刊行。副題が「石原完爾と昭和の夢」です。文庫本も2分冊で出ているようですが、単行本は770ページを越える大著です。日蓮主義を調べているうちに、寄り道してしまいました。
 今日は、1889年(明治22年)に山形県鶴岡に生まれた石原完爾が、仙台の陸軍幼年学校を経て、東京の中央幼年学校に入校するところまで、最初の6節ほどを読んだだけですが、ほんとうに面白いです。ちょっと困りました(笑)。

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2006年9月22日 (金)

寺内大吉『化城の昭和史 下巻』

Kajyo2  読み終わるまでずいぶん時間がかかりました。難しい小説ではないのですが、叙述の流れがあちこちで渦を巻き、遡ったかと思うと、いっきに先回りしたりと、ついていくのにけっこう苦労しました。作者は浄土宗の高僧ということですが、小説の結構そのものに仏教的な時空観が反映しているのかもしれません。
 迂闊なことに、主人公「代作」のモデルが、ゾルゲ事件で処刑された尾崎秀実であることに気づいたのは下巻に入ってからでした。それにしても、唯物論者の目から昭和の日蓮主義者の思想と行動がどう見えたか、というような小説はたぶん誰も考えたことのないテーマだったと思います。

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2006年9月15日 (金)

寺内大吉『化城の昭和史』

Kejyo  このところ気温の変化がきつくて身体にこたえます。仕事帰りの車中でも、ぐっすり眠りたいのですが、妙に神経が立っていてなかなか寝付けません。しかたなく鞄から取り出したのは、読みかけの寺内大吉の『化城の昭和史』(1988年、毎日新聞社、現在は中公文庫で読めます)です。ぼんやりした頭でよむとさらに混迷するのですが、急がずあせらず読み進めていきましょう。今日は上巻の終わり近くまで。

 柳条湖の鉄路爆破事件から始まる15年戦争、血盟団事件から2.26事件にいたるテロリズムとクーデター未遂、その背後に見え隠れする〈日蓮主義〉に光をあてた異色の小説です。北一輝、西田税、井上日召あるいは石原完爾といった熱烈な日蓮主義者の思想と行動が、昭和史にどれくらい深刻な影響を与えたかに驚かされます。というか、驚かされている最中です。

 帰宅して見たテレビでは「オウムの松本被告、死刑確定」のニュースをやっていました。そういえば、事件当時に血盟団とオウムの類似性について言及している論者がいましたね。この本を読んでいるうちに、その意味がもっとよく理解できるようになりました。

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2006年8月28日 (月)

守永直幹『未知なるものへの生成』

Michina  昼過ぎから神保町でK氏と歓談。今年の2月に刊行された守永直幹氏の『未知なるものへの生成 ベルクソン生命哲学』(春秋社)を手に取りながら、著者の筆力に感嘆したり、昔話に花を咲かせたりしました。この労作、昨日から読み始めたのですが、イキがよくて、ちょっと型破りな語り口が魅力です。たしかにベルクソンを語る文章が干からびていたら、ベルクソン論として失格かもしれないですね。読み終えたら、次回はも少し読書会っぽくもっていきたいと思います。

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2006年8月26日 (土)

田中克彦『差別語からはいる言語学入門』

Sabetsugo    地元の図書館で何気なく手にとって借りてきました。読み始めると、やはり田中氏の著作はいつも期待を裏切りません。著者が「慎重に味読していただくようにお願いしたい」と念を押されたところも、あまりに興味深く、ひといきに読んでしまいました。著者も「まえがき」で語るとおり、差別語を考えることで言語学の全分野が理解できるなどという大風呂敷を広げた本ではないのですが、「ことばは人間が作ったものだから人間が変えられる」(第二講の題)ということ、あるいは、「ことばを変えることによって現実を変えることもできる」ということを改めて実感させてくれる本です。
 この本はもともと朝日新聞社の季刊文芸誌『小説トリッパー』で連載され始め、わずか2回で一方的に打ち切られてしまった原稿がもとになっていますが、連載中止の「別の理由」は「それについて書くのは楽しくないからやめる」(あとがき)ということなので、くだんの章を「慎重に味読して」推定する他ありません。たぶん「自分のことしか考えていない心のせまい人たち!」のいろいろな横やりもあったんだろうなと思います。

    田中克彦『差別語からはいる言語学入門』(明石書店)2001年 

(蛇足) 以前、私が、田中克彦『「スターリン言語学」精読』(岩波現代文庫)の感想文を書いたページはここです。

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