2015年3月14日 (土)

ジャン・ボベロ『世界のなかのライシテ』

【読書記録】ジャン・ボベロ『世界のなかのライシテ 宗教と政治の関係史』私市正年/中村遥訳(クセジュ文庫、白水社)

というわけで、ボベロのライシテ本2冊目。この本の眼目は、ライシテがフランスに固有のものではなく普遍的な概念であること、そして、そのライシテという物差しを使って、政治と宗教の関係を地球規模で歴史的に考察しているところにある。先に読んだボベロの本はフランスの歴史をある程度知っていなければ読むのが大変かもしれないが、こちらのほうが風呂敷が大きいぶん読みやすかったと思う。何より、世界史の流れを大きく捉え返すことができます。

「「国家が特定の宗教を保護せず、複数の宗教が政治から自立しながら平等な地位を保障され、また個人および集団も宗教の選択と信仰の自由が保障されている原理」ライシテ。その歴史と全世界の歩みを地域ごとに解説。とくに、2011年「アラブの春」後のイスラーム諸国の変化に注目。」(カバー裏の紹介文)

二冊続けて読んだので、「ライシテ」と「世俗化」の違いについて、そろそろアタマではわかったような気になってきた。政教分離を国家が「人為的に」行なうのが「ライシテ」laïcité、 laïcisation(脱宗教化)で、日本で言えば日本国憲法第20条で信教と宗教の自由を保障し、国家による宗教活動や公立学校の宗教教育を禁止しているのがライシテということになる。(ボベロによれば、日本は「厳格なライシテ国家」だそうだ。)で、国家が何もしなくても「なりゆき」で宗教の影響力が弱まっていくのが「世俗化」sécularisation。これは、日本の現状そのままなので、あえて例を出すまでもないか。でも、現代では「世俗化の世俗化」ともいうべき事態が進行中だという指摘はおもしろかった。

「宗教を脱魔術化し、脱教権主義化させた諸制度が、今度は同じようなプロセスーー世俗化自身が脱魔術化され、世俗化されるーーに直面しているのである。」(p.140)

クリスマスが世俗化され、世俗化されたバレンタインデーが日本でさらに世俗化され、そうすると今日のホワイトデーは世俗化の世俗化の世俗化という感じ。いや、この喩えはひどすぎるか。ボベロは教育制度(学校)や医療制度(病院)を例にあげています。

「......グローバル化の進行とともに社会がますます多元主義的になる状況の中で、ライシテにも新しい変化が必然的におこっているのである。この新しい局面はライシテの状況を複雑にし、新しい挑戦を生み出している。実際に、世俗化を内面化して西洋化した人びとと(中略)、多かれ少なかれ、宗教を包括的システムとして認めているような人びとが、直接接触するような事態が起こっている。」(p.141)

念頭にあるのはもちろんイスラームだろう。この挑戦への反応を提示する数ページが、この本のクライマックスになる。(この項、続く)


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«ジャン・ボベロ『フランスにおけるライシテ(脱宗教性)の歴史』

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