2015年1月31日 (土)

河野多恵子「月光の曲」

一昨日亡くなった河野多恵子さんの晩年の短篇集『臍の緒は妙薬』(新潮文庫)を読んでいる。

その最初の小説『月光の曲』は戦時色が強まっていく1930年代の小学校が舞台。小説のタイトルは当時の小学校六年生の国語教科書に収録されていたベートーベンにまつわるエピソードを綴った「月光の曲」からとられている。まさに月の光のように心にしみとおっていく文章。河野さんは小学生の時にこの文章を読んだ経験をずっと忘れていなかったんだろうな。

この『小学國語読本』に収録されていた「月光の曲」。ネットで探してみたら見つかったので、長いけど以下にペーストします。

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 十六 月光の曲(『小学國語読本 巻一二』から)

 ドイツの有名な音樂家ベートーベンが、まだ若い時のことであつた。月のさえた夜、友人と二人町へ散歩に出て、薄暗い小路を通り、ある小さなみすぼらしい家の前まで來ると、中からピヤノの音が聞える。
「ああ、あれはぼくの作つた曲だ。聞きたまへ。なかなかうまいではないか。」
かれは、突然かういつて足を止めた。
 二人は戸外にたたずんで、しばらく耳を澄ましてゐたが、やがてピヤノの音がはたとやんで、
「にいさん、まあ何といふいい曲なんでせう。私には、もうとてもひけません。ほんたうに一度でもいいから、演奏會へ行つて聞いてみたい。」
と、さも情なささうにいつてゐるのは、若い女の聲である。
「そんなことをいつたつて仕方がない。家賃さへも拂へない今の身の上ではないか。」
と、兄の聲。
「はいつてみよう。さうして一曲ひいてやらう。」
ベートーベンは、急に戸をあけてはいつて行つた。友人も續いてはいつた。

 薄暗いらふそくの火のもとで、色の靑い元氣のなささうな若い男が、靴を縫つてゐる。そのそばにある舊式のピヤノによりかかつてゐるのは、妹であらう。二人は、不意の來客に、さも驚いたらしいやうすである。
「ごめんください。私は音樂家ですが、おもしろさについつり込まれてまゐりました。」
と、ベートーベンがいつた。妹の顔は、さつと赤くなつた。兄は、むつつりとして、やや當惑(たうわく)のやうすである。
 ベートーベンも、われながら餘りだしぬけだと思つたらしく、口ごもりながら、
「實はその、今ちよつと門口で聞いたのですが──あなたは、演奏會へ行つてみたいとかいふことでしたね。まあ、一曲ひかせていただきませう。」
そのいひ方がいかにもをかしかつたので、いつた者も聞いた者も、思はずにつこりした。
「ありがたうございます。しかし、まことに粗末なピヤノで、それに樂譜もございませんが。」
と、兄がいふ。ベートーベンは、
「え、樂譜がない。」
といひさしてふと見ると、かはいさうに妹は盲人である。
「いや、これでたくさんです。」
といひながら、ベートーベンはピヤノの前に腰を掛けて、すぐにひき始めた。その最初の一音が、すでにきやうだいの耳にはふしぎに響いた。ベートーベンの兩眼は異樣にかがやいて、その身には、にはかに何者かが乘り移つたやう。一音は一音より妙を加へ神に入つて、何をひいてゐるか、かれ自身にもわからないやうである。きやうだいは、ただうつとりとして感に打たれてゐる。ベートーベンの友人も、まつたくわれを忘れて、一同夢に夢見るここち。
 折からともし火がぱつと明かるくなつたと思ふと、ゆらゆらと動いて消えてしまつた。

 ベートーベンは、ひく手をやめた。友人がそつと立つて窓の戸をあけると、清い月の光が流れるやうに入り込んで、ピヤノのひき手の顔を照らした。しかし、ベートーベンは、ただだまつてうなだれてゐる。しばらくして、兄は恐る恐る近寄つて、
「いつたい、あなたはどういふお方でございますか。」
「まあ、待つてください。」
ベートーベンはかういつて、さつき娘がひいてゐた曲をまたひき始めた。
「ああ、あなたはベートーベン先生ですか。」
きやうだいは思はず叫んだ。
 ひき終ると、ベートーベンは、つと立ちあがつた。三人は、「どうかもう一曲。」としきりに頼んだ。かれは、再びピヤノの前に腰をおろした。月は、ますますさえ渡つて來る。
「それでは、この月の光を題に一曲。」
といつて、かれはしばらく澄みきつた空を眺めてゐたが、やがて指がピヤノにふれたと思ふと、やさしい沈んだ調べは、ちやうど東の空にのぼる月が、しだいにやみの世界を照らすやう、一轉すると、今度はいかにもものすごい、いはば奇怪な物の精が寄り集つて、夜の芝生(しばふ)にをどるやう、最後はまた急流の岩に激し、荒波の岩に碎けるやうな調べに、三人の心は、驚きと感激でいつぱいになつて、ただぼうつとして、ひき終つたのも氣づかないくらゐ。

「さやうなら。」
ベートーベンは立つて出かけた。
「先生、またおいでくださいませうか。」
きやうだいは、口をそろへていつた。
「まゐりませう。」
ベートーベンは、ちよつとふり返つてその娘を見た。

 かれは、急いで家へ歸つた。さうして、その夜はまんじりともせず机に向かつて、かの曲を譜に書きあげた。ベートーベンの「月光の曲」といつて、不朽の名聲を博したのはこの曲である。
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以上です。このベートーベンの「月光の曲」のあらすじを先ほど昼食時に妻に話したら、妻も国民学校(小学校)の時に国語(韓国語ですね)の教科書で読んでよく覚えているというのでびっくりすると同時に何とも複雑な気持ちになった。

もっとも、この『国語読本』の「月光の曲」そのものが米国Barnes社から出版された小学校用読本「ニュー・ナショナル・リーダー」New National Reader(1884年)からの翻案だったのですね。「ニュー・ナショナル・リーダー」は明治以来、最もよく使われていた英語の教科書でした。これも原典を探してみたらみつかりました。New National Fifth Reader、Lesson 12 Beethoven’s Moonlight Sonata (p.77)ちなみに、ここで書かれているベートーベンの物語自体はフィクションです。

ナショナルなるもの」についてしばし考えさせられる日曜の午後。

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