2006年9月12日 (火)

蛸の自殺 その3

 『蛸の自殺』では、〈ロマン・ローラン〉〈ベルグソン〉〈愛と認識との出発〉〈アンナ・カレーニナ〉〈近松門左衛門〉といった当時の知的青年を魅了した固有名詞が、いくぶん照れくさそうに取り上げられています。この〈照れくさそうに〉も批評意識の始まりなのでしょう。「猛烈な智識慾」はあっても「信じ度くはない」謙吉は、浜辺でみた〈日蓮主義青年団〉の教宣活動に対しては、当初興味はもちつつ、すぐに違和感を抱かずにはいられません。

 その一方、肺病の母のところに布教に来る〈天理教〉には、その教理にはまったく関心をもたないかわりに、その質朴な信徒たちには好意を抱いています。母のすぐそばでトルストイを読んでいるのですから、それも当然かもしれないですね。

 関東大震災はその次の年です。廃墟の中からマルキシズムとモダニズムが競い合い、批評家小林秀雄を召喚する昭和の時代はもうすぐです。ですが、『蛸の自殺』の書かれたこの時期は、まさに大正の生命主義、教養主義の絶頂期といってもいいでしょう。

この項続く

2006年9月11日 (月)

蛸の自殺 その2

 謙吉は耳の水が気になって黙って又トントンと叩いて居た。赤や黄の海水帽、白ペンキ塗りの浮、男のチョコレート色をした肩、黒い水着、-----其等のものが、夏の太陽の下で、碧い水の上に、強い色彩を以て雑然と動いて居た。謙吉は、よく夢に見る花園の色彩を、聯想した。

 ふと、謙吉は世間で「夢の様だ」と言うのが妙に思われた。音や色は勿論、近頃は匂いまで感ずる自分の夢の鮮かさを思う一方、夢に現われる自分というものの真実さよりしても其う云う様な言葉は怪しからんと思うのだった。

 耳に水が入ると、三半規管の機能が低下して一時的にせよ平衡感覚が失われるおそれがあります。そういう身も蓋もない含みを持たせながらも、謙吉がとらえた原色のイマージュは、もう少し根が深そうにもみえます。

 森田療法の考え方に「精神交互作用」というのがあります。心身の不調に神経を集中すると、〈感覚の鋭敏化〉がさらに進んでさらに不快感が増大し、その悪循環が神経症をひきおこすという学説ですが、〈耳〉を気にする謙吉に生じているのはまさに〈感覚の鋭敏化〉そのものです。ただし、謙吉は〈感覚の鋭敏化〉を不快に思っているというよりは、むしろ得意になっているふしもあります。

「八重子さんは匂いのある夢をみたことがあるかい?」

「其んな病的な夢見るもんですか、貴君の夢は匂いがするの? 福神漬でないの?」

八重子さんは面白そうに笑った。

 お見事ですね。謙吉の小癪な夢はあっさり打ち破られました。こういう愉快な女性はどこにでもいそうですが、その八重子さんこそ「自殺ってば妾(わたし)、蛸の自殺を見てよ」という決定的なひとことを言い出した張本人なのですから、油断はできません。

 ちなみに、高見澤潤子は『兄 小林秀雄』(新潮社)において、八重子のモデルが「鎌倉にいた叔父の知合いの金持の娘」の「良子(よしこ)」であり、「兄の初恋の人のように思われて仕方がない」と推定しています。

(この項続く)

2006年9月10日 (日)

蛸の自殺

「蛸の自殺」1922年11月

 足の裏の焼け附く白砂からは、焔の様な陽炎が燃えて、其の彼(むこう)に、仮睡(まどろ)んだ緑の斑点を附けた赤い壁の岬が上に頭を出した入道雲と一緒にブルブルと慄えて居る。海流の縞を鮮やかに浮べた海は、太陽の直射に全然(すっかり)参って終ったと云う形で、波は物狂おしく渚に這上がっては、砂の熱さに驚いて引き下る。と後に砂の面が嘲笑する様にギラリと光る。----真昼の海の烈しい色彩が、寝不足で疲れた謙吉の神経にクラクラと幻覚を起させた。


 大正11年同人雑誌の『跫音』(きょうおん)第三輯に掲載された小林秀雄の処女小説冒頭です。小林秀雄は当時20歳。前年の冬、一高の一年生だった小林秀雄は、志賀直哉に初めて会っていますが、この小説も志賀直哉に送り、賞賛の手紙を受け取ったと伝えられています。

 〈処女作にすべてがある〉などと言うひともいますが、小林秀雄の文章を何でもありがたがる読者はのぞいて、この生硬で神経質な文体に『無常といふ事』や『本居宣長』の著者が眠っている、などとしたり顔で言うのは難しそうですね。小林秀雄が生前、この習作を断じて活字にしようとしなかったのは無理のないことだと思います。

 しかしながら、小林秀雄の初期小説を何度も繰り返して読んでいる愛読者にとっては、たとえば早くから活字化されていた『一ツの脳髄』と比較しても『蛸の自殺』がそれほどダメな作品であるとも思えないのです。小林秀雄の死の直後に発表されたこの『蛸の自殺』を読んだとき、文学青年の「若書き」を予想していた私は完全に裏切られました。対象そのものに巻き込まれていく自意識の運動を、自意識のとらえるままに言語として定着しようとする小林秀雄の方法は、『蛸の自殺』でも意識的に実践されていました。

(この項続く)

2006年9月 8日 (金)

近日公開

 現在準備中です。